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東京地方裁判所 平成3年(行ウ)204号 判決

原告 ザ・バンク・オブ・ノヴァ・スコシア

被告 麹町税務署長

訴訟代理人 小磯武男 寺内信雄 ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求の趣旨

被告が平成元年二月二八日付けで原告に対してした、昭和六〇年一月分から昭和六三年一〇月分までの各源泉所得税の納税告知処分のうち、別表一の「源泉所得税の額」欄に記載された額をそれぞれ超える部分及び右源泉所得税に係る各不納付加算税賦課決定のうち、同表の「不納付加算税の額」欄に記載された額をそれぞれ超える部分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、日本の支店で勤務することにより生じる租税等の増加部分の負担を外国人従業員に負わせないようにするため、給与等の額及び支払方法について特殊な措置をとっていた外国法人が、その支払に際して源泉徴収及び源泉所得税の納付をしていなかったため、税務署長から受けた納税告知及び不納付加算税賦課決定について、その源泉所得税額及び不納付加算税額の標準となる国内払の給与等の額の計算方法が争われた事案である。

一  給与所得に係る源泉徴収制度及び源泉徴収をしていなかった場合の取扱い

居住者(所得税法二条一項三号)に対し国内において給与等(同法二八条一項)の支払をする者は、その支払の際、その給与等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月一〇日までに、これを納付しなければならない(同法一八三条一項)。

この源泉徴収義務者が所得税を納付しなかったときは、税務署長は、その所得税をその者から徴収する(同法二二一条)が、所得税法基本通達(昭和四五年七月一日直審(所)第三〇号)二二一―一及び一八一~二二三共―四は、源泉徴収義務者が徴収をしていなかった場合の源泉所得税額の計算方法について、それぞれ以下のように定めている。

「二二一―一

法第二二一条の規定により同条に規定する者から源泉徴収に係る所得税を徴収する場合において、その者がその徴収すべき税額を徴収していなかつたときは、同条の規定により徴収すべき税額は、次により計算することとなることに留意する。

(一)  当該税額を徴収していなかつた理由が、当該徴収すべき税額を支払者が負担する契約となつていたことによるものである場合には、税引手取額により支払金額が定められていたものとして、一八一~二二三共―四により計算する。

(二)  当該税額を徴収していなかつた理由が、(1)の理由以外のものである場合には、既に支払つた金額のうちから当該税額を徴収すべきであつたものとし、既に支払つた金額を基準として計算する。この場合において、その計算した税額を納付した支払者が、その納付した税額につき法第二二三条に規定する控除または請求をしないこととしたときは、当該控除又は請求をしないこととした時においてその納付した税額に相当する金額を税引手取額により支払つたものとし、その支払つたものとされる金額に対する税額を一八一~二二三共―四により計算する。」

「二二一―一及び一八一~二二三共―四

給与等その他の源泉徴収の対象となるものの支払額が税引手取額で定められている場合には、当該税引手取額を税込みの金額に逆算し、当該逆算した金額を当該源泉徴収の対象となるものの支払額として、源泉徴収税額を計算することに留意する。

(注)上記の場合には、源泉徴収票又は支払調書に記載する支払金額は税引手取額と源泉徴収税額との合計額となることに留意する。」

二  本件処分の経緯等(この項の事実は、当事者間に争いのない事実のほかは、甲一号証の一及び二、甲二号証、甲三号証、甲七号証、甲八号証、甲一〇号証、乙五号証、乙六号証並びに証人鈴木秀太郎の証言及び弁論の全趣旨により認められる。)

1  原告は、カナダに本店を有し、銀行業を営む外国法人である。

2  原告は、東京支店において、昭和六〇年一月から昭和六三年一〇月まで(以下「本件期間」という。)を含む期間、以下の六名の外国人従業員(以下「本件従業員」という。)を日本国外から受け入れ、雇用していた。

ウイリアム・トレヴァー・テイラー

滞在期間 昭和五四年九月から現在まで

スタン・アロウジョ

滞在期間 昭和五九年九月から現在まで

マイケル・ダブリュー・リッチー

滞在期間 昭和五九年四月から昭和六二年八月まで

クリス・リー

滞在期間 昭和六一年一〇月から昭和六三年一月まで

クリス・エー・バーンズ

滞在期間 昭和六二年九月から平成二年一一月まで

ドナルド・イー・ピアーズ

滞在期間 昭和六二年八月から現在まで

3  本件従業員に対する給与については、原告と本件従業員との間の合意により、日本に派遣される前に住所を有していた国(以下「本国」という。)において勤務すると仮定した場合に負担することとなる租税及び住居費に相当する額を控除して取得することとなる経済的利益を、日本で勤務する期間においても保証するため、日本において勤務することにより本国で勤務する場合に比べて増加する租税を含む経済的負担を本件従業員に負わせない措置がとられていた。その具体的方法は以下のとおりである。

まず、本件従業員の各人につき、本国で勤務する場合に適用される基本給に相当する指標及び各種手当に相当する指標を定め、この各指標の合計から、本国にいると仮定した場合に課せられるべき租税相当額を示す指標及び本国における家賃相当額を示す指標を控除した額を計算し、この額(以下「手取保証額」という。)の支払を保証することとする。手取保証額は、原告から、原告銀行の海外支店にある各従業員の口座に直接振り込まれることによって支払われ(左記(一))、その支払について東京支店は一切関与しない。

日本における水道光熱費、メイド費等については、原告の東京支店が負担し、従業員本人に代わって支払う。すなわち、所得税法上は、本件従業員に対して、右費用相当の経済的利益が支払われたこととなる(左記(二)。ただし、この額がいわゆる税込みか手取りかは別論である、以下左記(二)ないし(四)について同じ。)。

本件従業員が賃借していた社宅の賃借料については、一切賃料を徴収しない。すなわち、所得税法上は、東京支店から適正賃料相当額の経済的利益が支払われたこととなる(左記(二))。

各従業員は、本国において支払われた手取保証額及び日本において右のように支払われた経済的利益を当該年の課税所得とした上で、翌年の三月一五日までに、日本において確定申告するが、これに係る申告所得税、道府県民税(都民税を含む。以下同じ)、市町村民税(特別区民税を含む。以下同じ)及び本国における所得税は、原告が本件従業員に代わってすべて納付することにより負担する。すなわち、所得税法上は、東京支店から右代替納付分相当額の経済的利益が支払われたこととなる(左記(三))。

さらに、このように原告が本件従業員に代わって納付した租税は、納付の行われた年の本件従業員の所得として、翌年の確定申告の対象となるが、これに係る申告所得税、道府県民税、市町村民税及び本国における所得税もまた、原告が本件従業員に代わってすべて納付することにより負担する。すなわち、所得税法上は、東京支店から右代替納付分相当額の経済的利益が支払われたこととなる(左記(四))。

すなわち、本件従業員に対して支払われる経済的利益の具体的内容は、左記の(一)ないし(四)のとおりである((三)のうち、予定納税分を控除した日本での申告所得税についての代替納付分は、これに対応する(一)及び(二)の支払年の翌年に、また、(四)のうち、予定納税分を控除した日本での申告所得税についての代替納付分は、これに対応する(一)及び(二)の支払年の翌々年に、それぞれ支払われることとなる。なお、(二)ないし(四)を合わせて、以下「本件経済的利益」という。)。

(一) 手取保証額

(二) 本件従業員が日本で勤務することによって支払われる適正賃料相当額、水道光熱費、メイド費等の経済的利益

(三) 右(一)及び(二)の支払に関して課される本国での税金並びに日本での申告所得税、道府県民税及び市町村民税についての、原告による代替納付分

(四) 原告による右(三)の代替納付により、本件従業員に支払ったこととなる税金相当額に関して課される本国での税金並びに日本での申告所得税、道府県民税及び市町村民税についての、原告による代替納付分

4  ところが、原告は、本件期間中、本件従業員に本件経済的利益を支給する際、所得税の源泉徴収を行っておらず、本件従業員は、その翌年において、手取保証額及び本件経済的利益の合計額を所得金額として、源泉所得税額を控除する(所得税法一二八条、一二〇条一項五号)ことなく所得税額を確定申告し、申告所得税を納付していた。

5  被告は、原告に対し、平成元年二月二八日付けで、別表二のとおり本件経済的利益に係る源泉所得税の納税告知(以下「本件納税告知」という。)及び本件源泉所得税に係る不納付加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」といい、本件納税告知と併せて「本件処分」という。)をした。

これに対する原告の不服申立て等の経緯は、別表三のとおりである。すなわち、原告は、本件処分に対し、平成元年四月二七日付けで被告に対し異議申立てをしたが、同年九月六日付けで棄却された。そこで、原告は、平成元年一〇月六日付けで国税不服審判所長に対し審査請求をしたところ、平成三年七月一日付けで棄却され、同月二日にその通知を受けた。

三  本件の争点

本件においては、本件処分に係る源泉所得税及び不納付加算税の額が争われており、具体的には、右源泉所得税額の課税標準となる本件従業員の給与等の額が、本件経済的利益の額にとどまるのか、あるいは、本件経済的利益の額を税引後の額とみなして、これに本来徴収すべきであった源泉所得税額を加算する方法(所得税法基本通達二二一―一の(一)及び一八一~二二三共―四、以下「グロス・アップ計算」という。)により算出された額か、換言すれば、本件従業員に支払われた本件経済的利益の額が、いわゆる税込みか手取りかが、専ら争点となっている。

右の争点に関する当事者の主張は、以下のとおりである。

1  被告の主張

(一) 原告は、本国で勤務する場合と日本で勤務する場合とで本件従業員の税負担等の軽重に差が出ないようにするため、本件従業員との間であらかじめ合意されたところに基づき、本件経済的利益を支払うほか、これに係る申告所得税も代わって納付する等の方法により、日本において追加的に生ずる租税等の負担を本件従業員に負担させず、日本における本件経済的利益の支払を手取額として保証していたものである。このことは、原告が、本件経済的利益について、その支払の都度源泉所得税を負担する旨を本件従業員との間で約していたことにほかならない。仮に、本件経済的利益が税込みだとすると、その額から源泉所得税額が控除され、右の追加的に生ずる租税等の負担の一部を原告が負わない結果となり、右合意の趣旨と矛盾することとなる。したがって、本件経済的利益の額は手取とみるべきであり、本件は、原告と本件従業員との間には所得税法基本通達二二一―一の(一)にいう、グロス・アップ計算をすべき場合に該当するものというべきである。

(二) 原告は、本件従業員との間には、日本における勤務により生ずる租税等の追加的負担を本件従業員に負わせないようにするため、本国における手取保証額の支払を保証する合意はあるものの、源泉所得税額を本件経済的利益の支払の都度原告が負担するという合意はないと主張する(原告の主張(二))。しかし、本件従業員は本件給与等について源泉所得税を一切負担しないのに対し、本件従業員の申告所得税を負担した原告は、結果的に右源泉所得税を負担することとなるのであるから、手取保証額の支払を保証するという右の合意は、実質的には、毎月の源泉所得税額を経済的利益の支払の都度原告が負担するという包括的合意にほかならない。

(三) 本件経済的利益についてのグロス・アップ計算に基づいて源泉所得税額を計算すると、別表四のとおりとなって、本件納税告知における額を上回るから、本件納税告知及び本件賦課決定は、いずれも適法である。

2  原告の主張

(一) 本件において納税告知すべき源泉所得税額は、給与の支払時において、課税標準である給与等の額を基準として自動的に確定するものであるところ、その給与等の額は、支払者と受給者の間の合意によって決定されるものである。課税実務においても、当該徴収すべき税額を支払者が負担する合意の有無により、グロス・アップ計算をするか否かの取扱いを分けているのである(所得税法基本通達二二一―一)。

(二) しかるに、原告と本件従業員との間の給与等に関する合意は、あくまで本国において支払われる手取保証額を暦年単位で最終的に保証するため、当該年における経済的利益の支払額を前記二の3の(一)ないし(四)の合計額とする、というものであり、被告の主張するように、日本における本件経済的利益の支払を手取額として保証するというものではない。

原告は、日本における本件経済的利益の支給について源泉徴収義務があるとの認識をそもそも有していなかったのであるから、本件従業員に対する給与等に関して、源泉所得税の負担をする旨の合意をすることはあり得ず、原告が源泉徴収をしなかったのは、単なる源泉徴収制度に関する誤解に基づくものである。また、本件経済的利益に係る申告所得税はあくまでそれぞれの納付すべき時期(すなわち、予定納税分は本件経済的利益の支払年における所得税法一〇四条一項所定の時期、これを控除した分は支払年の翌年における同法一二八条所定の時期)に原告が代替納付することにより負担することとなっていたものであるから、この代替納付分は経済的利益の支払時の所得となるものではない。したがって、本件において申告所得税を原告が負担する合意があるからといって、このことから本件経済的利益について源泉所得税を原告が負担する旨の合意があったと認定することは誤りである。

すなわち、原告と本件従業員との間の給与等に関する合意は、その額を前記二の3の(一)ないし(四)の合計額のみであるとするものであって、このことは、原告の法人税申告、本件従業員の確定申告及び予定納税の内容とも整合するものである。

(三) 被告は、本件経済的利益が税込みだとすると、その額から源泉所得税額が控除され、日本において追加的に生ずる租税等の負担の一部を原告が負わない結果となるから、本件経済的利益の額は手取りとみるべきであり、これに関する源泉所得税はグロス・アップ計算によって算出すべきこととなると主張する(被告の主張(一))。しかし、本件経済的利益については、これを税込みとしても、本件のように、これに係る申告所得税を原告が代替納付すれば(前記二の3の(三))、右の追加的負担の全部を原告が負うこととなるのであるから、被告のこの主張は失当である。

(四) なお、原告が従業員を本国から日本を含む本国外の国に派遣する場合の給与に関する取扱いについては、従来、原告の内部規範である「スコシア銀行海外派遣従業員のマニュアル」により処理されてきたところであるが、これによれば、原告が派遣地国において源泉徴収義務を負う場合には、源泉所得税は給与等の支払の都度一旦従業員において負担することとなっており、現実の支払額に上乗せして、更に原告が源泉所得税を負担するものではない。そして、右のように従業員が支払時に負担した源泉所得税は、最終的には、従業員の要求によって原告が従業員に償還して清算することとなっているが、その支払時期は、あくまで翌年の確定申告時である。すなわち、仮に本件において原告が源泉徴収義務があることを認識していたとしたら、本件従業員に対する給与等は、税込みとして支払われることとなるのである。本件においては、原告は、源泉徴収制度に対する誤解から単に源泉徴収を怠っていただけであるが、その場合における源泉所得税の負担に関する合意が、源泉徴収義務があることを原告が認識していた場合の合意と実質的に異なるものである筈はなく、この点からみても、本件における原告と本件従業員との間の給与に関する合意は、本件経済的利益を税込みとして支払うというものにほかならない。

(五) また、原告は、現在、日本国外から派遣されて来ている従業員の給与等の支払方法を全額本国払に切り換えているが、この場合の給与等は源泉徴収の対象とはならないので、所得税は全額申告の形で支払われている。この場合には、グロス・アップ計算の余地はなく、給与等は税込みとなるのであり、このことは、同じ額の経済的利益を同じ趣旨で支払っていた本件の場合においても、本件経済的利益が税込みであったことを示すものである。

(六) したがって、本件において、被告の主張するようにグロス・アップ計算により課税標準の算出を行うことは、給与に関し、当事者の合意にない額を創出するものであって、租税法律主義に反するものである。

そして、本件経済的利益を税込みとみて、本件従業員に係る源泉所得税額及び不納付加算税額をグロス・アップ計算によらずに算出すると、別表一のとおりとなる(ただし、還付額が生ずる月の源泉所得税額は〇円とした。)から、本件処分のうち、この額を超える部分は違法なものとして取り消されるべきである。

(七) なお、本件においては、各給与等の毎回の支払時に源泉所得税の徴収義務が発生していることとなるから、本件従業員らの申告所得税の額は、所得税法一二八条、一二〇条一項五号により、本件で原告が現実に代替納付した額から右源泉所得税額を控除した額(グロス・アップ計算を採用した場合には、〈1〉原告が現実に代替納付した額に、〈2〉当該申告所得税の課税標準となる給与等の額がグロス・アップにより増加したことによる当該申告所得税の増分を加算した額から、〈3〉グロス・アップ分の源泉所得税額を控除した額をさらにグロス・アップした額)となり、この申告所得税の代替納付相当分の給与等に係る源泉所得税も、右の額を課税標準として算定すべきこととなる。しかるに、本訴において被告の主張するグロス・アップ計算(別表四)は、右源泉所得税の課税標準として、原告が現実に代替納付した申告所得税の額をそのままグロス・アップした額を用いている。したがって、仮に、本件においてグロス・アップ計算を採用すべきであるとしても、別表四の被告の具体的な源泉所得税額の算定方法は、右控除すべき部分を課税標準に二重に算入していることとなって誤りである。

第三争点に対する判断

一  給与等の支払者が源泉徴収をしていない場合における、この者に対する納税告知に係る源泉所得税の課税標準たる給与等の額は、支払者と受給者との間の契約により定まるものである。すなわち、支払者が現実に支払った給与等の額の外において源泉所得税を負担し、受給者が右現実に支払われた額の中からこれを負担することを要しない旨の合意がある場合には、受給者は、右の額を源泉所得税の負担なくして利得することとなり、これを経済的観点からみれば、右の額をグロス・アップした額の給与を、これに対応する源泉所得税額の天引きを受けた上で支給されたことと同一の利益を取得したこととなるから、右支払額は手取りであり、課税標準たる給与等の額は、グロス・アップ計算により、右の現実に支払われた額に、これに係る源泉所得税額分を加算した額とすべきこととなる。これに対し、かような合意がない場合には、源泉所得税は受給者が現実に支払われた額の中から負担すべきこととなり、給与等の額は現実に支払われた額にとどまるものであるから、その額をもって課税標準とすべきこととなる。所得税法基本通達二二一―一も、このような趣旨に基づくものと理解される。

二  ところで、本件においては、原告は、本件従業員との間の契約により、本国における手取保証額の支払を保証し、もって本国で勤務する場合と日本で勤務する場合とで租税等の負担に差が生じないようにするために、申告所得税その他の租税をすべて負担することとしていたものであり、本件従業員は、このことにより、毎回の給与等の支払時において、本件経済的利益の額の中から源泉所得税を負担することを免れていたものである。そうすると、給与等に関するかような合意は、とりもなおさず、原告において本件経済的利益の外に源泉所得税を負担するということと同趣旨であり、本件経済的利益の額は手取りということとなる。

仮にこれを原告の主張するように税込みだとするならば、当事者間の合意は、本件経済的利益の中から源泉所得税分を本件従業員において負担することとなる筈であり、それにもかかわらず本件のように源泉所得税に相当する分も含めたすべての租税を原告が負担するということは、この分を本件従業員に二重に支払うこととなって、右の税込みということと矛盾する結果となる。

したがって、本件は、グロス・アップ計算により課税標準である給与等の額を計算すべき場合(所得税法基本通達二二一―一の(一))に該当するものというべきである。

三1  これに対し、原告は、本件従業員の給与等について、そもそも源泉徴収義務があるとの認識を有していなかったのであるから、本件従業員との間で源泉所得税分の負担に関する合意がされるはずはないと主張する(原告の主張(二))。しかし、前記一に判示したような源泉所得税の課税標準確定の趣旨に照らせば、本件においてグロス・アップ計算をすべきか否かは、いかなる負担方式であれ、所得税を原告が負担することとなっていたことにより、結果的に、給与等の支払時において本件従業員が本件経済的利益の中からの源泉所得税の負担を免れ、グロス・アップ後の額から源泉所得税の天引きを受けた額を支払われたのと同一の経済的利益を取得することとなる合意があったかどうかによって判断されるべきであって、当事者がこれを税法上源泉所得税と認識していたか申告所得税と認識していたかによって左右されるべきものではない。所得税法基本通達二二一―一の(一)も、グロス・アップ計算をすべき場合に該当する要件として、「当該徴収すべき税額を支払者が負担する契約になっていたことによるものである場合」と、負担の対象としてはあくまで「税額」の語を用いており、必ずしも右負担される税額が源泉徴収に係るものであるとの税法上の認識を当事者が有していることまでも要求してはいないのである。

2  ところで、右の原告による所得税の負担は、申告所得税の代替納付という形により、本件経済的利益の支払時とは別の時期になされたものである。しかし、本件従業員は、前記の合意により、本件経済的利益の中から源泉所得税を負担することを免れているのであり、このことによって、本来源泉所得税を負担すべき時期、すなわち、本件経済的利益の支払時において、その額をグロス・アップした額から源泉所得税額を天引きした後の額の支払を受けたことと同一の経済的利益を取得したこととなる。すなわち、原告の側が所得税を代替納付した時期がいつかに関わりなく、本件経済的利益に併せて、そのグロス・アップ分の源泉所得税額に相当する額の給与が、本件経済的利益の支払時に、原告から本件従業員に支払われたものというべきである。所得税法基本通達二二一―一の(一)は、支払者においてそもそも源泉徴収税相当分の税額を申告税という形でさえ納付しなかった場合においても、この税額を支払者が負担する旨の合意があれば、給与等の支払時にこの額の経済的利益を支給されたものとして、グロス・アップ計算により課税標準を算定すべき旨を定めているのであって、この通達も、右と同様の趣旨に基づくものと解される。

3  また、原告は、源泉徴収義務があることを認識していた場合の取扱いとの対比により、本件経済的利益は税込みとして支払われたものであると主張する(原告の主張(四))。しかし、本件では、本件従業員は、あくまで本件経済的利益の支払時においてその全額を源泉所得税の負担なくして取得するのであるから、その時点でこれに係るグロス・アップ分の源泉所得税相当額の支払を受けたものといわざるを得ないのであって、源泉徴収義務があることを認識した場合における取扱いとして原告が主張する、受給者が現実に支払を受けた給与等の中から一旦源泉所得税を負担し、後日の確定申告時に原告からその償還を受ける方法とは、源泉所得税相当分の経済的利益の取得時期を決定的に異にするものである。したがって、右双方の場合に当事者の給与等に関する合意が異なるものと解釈されるのはやむを得ないところであり、原告の主張するように、仮に原告が源泉徴収義務があることを認識していたとすれば本件経済的利益が税込みで支払われることとなることをもって、本件で支払われた本件経済的利益も税込みであるとすることはできない。

4  さらに、原告は、現在、外国人従業員の給与等について全額本国払という支払方法を採っていることとの対比からも、本件従業員に支払われていた本件経済的利益が税込みであったと主張する(原告の主張(五))。しかし、給与等を全額本国払にすればグロス・アップ計算の余地がなくなり、これが税込みとなるのは、本国払の場合は源泉所得税の対象とならないため、これに係る所得税の負担の発生時期は当該支払時とは別(具体的には予定納税及びこれを控除した申告所得税の各納付時期)となり、受給者は、あくまで給与等の支払時においては租税負担分に係る経済的利益の支払を受け得ないからであって、このことを、日本で支払をしたため支払時に源泉所得税の負担が発生する場合と同一視することはできない。すなわち、たとえ同じ額の給与等を同じ趣旨で支払っていたとしても、本件経済的利益を本国払にした場合と、本件のように日本で支払った場合とでは、申告所得税と源泉所得税の負担の発生時に関する租税法の定めの差異によって生じる避け難い帰結として、課税標準が異なることとなるのである。したがって、給与等を全額本国払にした場合に本件経済的利益が税込みになることをもって、日本において本件従業員に支払われていた本件経済的利益も税込みであったとする原告の主張も採用できないものである。

四  以上によれば、本件の課税標準はグロス・アップ計算により算定すべきこととなる。

ところで、原告は、仮に、本件においてグロス・アップ計算を採用すべきであるとしても、被告の主張する計算(別表四)は、課税標準である申告所得税の代替納付相当分の給与等の額について、源泉所得税額を控除していない点で誤りであると主張する(原告の主張(七))。しかし、所得税法上、申告所得税の納付義務は確定申告をした居住者が負うものであるから、本件において原告が本件従業員の申告所得税を代替納付しても、所得税法上、納付はあくまで本件従業員により行われたものであって、原告は、その源資として、現実の申告に係る申告所得税相当額を本件従業員に手取りとして支払い、本件従業員はその分の経済的利益を一旦取得したこととなるものである。そうすると、後日において、源泉所得税分を控除せずして納付された右の申告所得税額が誤りであることになったとしても、本件従業員は右代替納付に係る給与等として、あくまで現実に代替納付された額をグロス・アップした額の支払を受けていることとなる。すなわち、原告が誤った額を代替納付したこと、換言すればこの部分に係る給与等を過払したことが判明したことにより、本件従業員が過払分の申告所得税の還付を受け、これを原告に戻入れた場合における原被告間の源泉所得税の還付関係はともかくとしても、申告所得税の代替納付に係る源泉所得税の算定に当たっては、右の額をもって課税標準とすべきこととなるのであって、かかる帰結は、源泉所得税と異なり、給与等の受給者が納付義務を負うことによる、やむを得ないものというべきである。したがって、原告の右主張は採用できない。

そうすると、グロス・アップ計算を採用すると、本件の源泉所得税額は別表四のとおりとなって(このことは、弁論の全趣旨により認められる。)、各月分とも本件納税告知に係る税額(別表二)を上回ることになる。

五  よって、本件処分はいずれも適法であるから、原告の請求はいずれも理由がなく、棄却すべきこととなる。

(裁判官 秋山壽延 原啓一郎 近田正晴)

別表一ないし四〈省略〉

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